32歳当時…

内野式洗浄の歩み。シリーズNO.182

 

昭和48年、創業から5年経過した32歳当時は大変な出来事が重なっていました。

父親が前立腺がんで三井記念病院に入院しており、「自分がガンなので晴れて晴れて死んでいくので一切延命をしないで欲しい」と言って点滴の管は自分で外してしまうし、吸い口で栄養を入れようとしても口笛を吹いて流入するものをストップしてしまうという状況でした。

その為、私は何とか飲ませようと吸い口の先に付いているガラスでない部分の周囲に小さな穴を開けて吸い口から栄養を入れようと思い実践したのでした。父はいつものように吸い口の先に舌をあてて吹きました。しかし周りの穴から栄養が流入して飲まざる負えなく不思議そうな顔をしていました。

その後8月11日に父は亡くなり、10月には第一次オイルショックが発生。世の中は一夜で石油を原料とするもの全てが3から4倍も値上がりしました。ただその時、私は洗浄溶剤を5倍も減らす洗浄方法の開発に成功していたのでした。

続く)